We cannot solve our problems with the same thinking we used when we created them. 「問題は、それが発生したときと同じ次元では解決することはできない」と、かつてアインシュタインは言ったとか。

考えても、考えても、なかなか答えが出せない問題に出会ったときや、分かれ目に立ったとき、この言葉を思い出します。 とはいえ、悩みを作ったのは自分だし、悩んでいるのも自分。次元や視点を変えるって、できるようでなかなか難しい話です。
若い頃は、恋愛や仕事の悩みを抱えたとき、本をたくさん読んだり、友だちに相談したり、占いに凝ったり、瞑想したり、滝に打たれたりと、いろんな方面から、なにかの答えを出そうとしていました(遠い目)。
今思うと、自分の視点や次元を変えるための行動だったのかもしれません。
先日、ランチに入ったお店で隣り合わせたグループは、ChatGPTを話題にあげていました。現代の暮らしの中でChatGPTは、企画書をまとめるだけではなく、個人的な問題解決のツールとしても活躍していそうです。
なにせ、心理学、社会学、哲学、統計など、あらゆる分野の情報から導き出した回答を瞬時に提示してくれるわけなので、悩みを俯瞰するツールとしては最強かもしれませんね。

回答を求めるだけではなく、友だちや家族に延々話を聞いてもらう代わりに、スマホに悩みや愚痴を聞いてもらえば、周囲の人の大切な時間を奪うこともないので、うまくつきあえば良いツールになるのでは、と思います。
もう一つ、同じ問題をぐるぐる考えることに飽きたとき、私が時折やってみることは、物理的に移動するということです。
遙か昔の学生時代、退学か進級か、あと数日で答えを出さないといけないというのに答えが出ずに迷っていた時、衝動的に大分の九重登山に出かけたことがあります。
着の身着のまま、という言葉がありますが、何の準備もなく、高校時代のジャージにリュックを背負い、鉄道とバスで大分を目指しました。
山麓の国民宿舎の管理人は、やけに語りかけてきたのですが、今思うと、暗い顔をした一人旅の大学生が心配だったのかもしれません。
よく晴れた次の日、山頂を目指しました。なぜ、こんなことをしているのか、自分でも分からないまま、一歩一歩、地面を踏んで登っていると、だんだん気分が晴れてきて、山頂に着いた時「学校に戻ろう」と、心が定まりました。

動いてみると、物の見え方や感じ方が変わることを実感した体験でした。懐かしい思い出です。それ以来、同じ場所でぐるぐる考えても答えが見つからないときは、どこかへ移動してみます。AIもいいけど、居場所を変える、ということも個人的お勧めです。