〝東洋のロダン〟といわれた彫刻家・朝倉文夫制作の「島津斉彬公銅像」

7月15・16日は、照國神社の六月灯です。鹿児島市内の神社で催される六月灯の中で最も人出の多い夏の風物詩です。今回は、この神社のご祭神である島津斉彬公の命日に合わせて行われる照國神社の六月灯を前に、斉彬公の銅像について紹介します。

日本が江戸から明治へと激変した時代を生きたのが、薩摩の名君といわれる島津斉彬(しまづなりあきら)公です。
1809年~1858年の生涯のうち、島津家28代当主としての活躍は1851年からの7年間。この短い期間に、さまざまな事業に取り組み、多くの人材を育てました。
鹿児島市磯(吉野町)に「集成館」という工場群を築き、造船・製鉄・紡績・電信・ガラスなどの製造業を興しました。集成館事業の遺産は、世界文化遺産の構成資産となっています。人材では、西郷隆盛・大久保利通などを登用。後の、明治維新の立役者を鹿児島から多く輩出しました。

また、島津家から徳川家に養女・篤姫を嫁がせた物語はNHK大河ドラマ「天璋院篤姫」にお任せするとして、海外の情報や文化に精通した斉彬公は、鹿児島に限らず、日本の近代化に大きく貢献した人物です。

斉彬公銅像は、大正6年(1917年)に彫刻家・朝倉文夫によって制作されました。銅像の原型となる石こう像は、いまも当時の姿で島津家歴史博物館「尚古集成館」に展示されています。石こう像の高さは4mあります。


朝倉文夫は、斉彬公銅像と一緒に、斉彬公の弟である島津久光公とその長男である島津忠義公の銅像も同時に制作しました。2人の銅像は、斉彬公銅像のそばにある探勝園に立っています。
照國神社境内の横にある護国神社飛び地に立つ島津斉彬公の銅像、その隣接地の探勝園に立つ島津久光公銅像と島津忠義公銅像は、3公像として鹿児島のまちと人々を温かく見守っているようです。
彫刻家・朝倉文夫と朝倉彫塑館について


朝倉文夫(1883~1964)は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家です。大分県出身で、実兄をたよって上京し、東京芸術大学美術学部で学び、卒業後に創作活動を始めました。生涯で400点以上の作品を生み出し、リアリティに徹する作風から「東洋のロダン」ともいわれます。また、猫好きでも知られ、つい目を細めてしまう愛猫の作品もあります。
朝倉のアトリエ兼居宅は「朝倉彫塑館」として、東京の下町情緒が残る谷根千エリアにあります。やねせん(谷中・根津・千駄木)は、昭和レトロな雰囲気が色濃く、多くの観光客を集めるエリアです。JR日暮里駅など最寄り駅から散策するルートがあります。同館は中庭の風情や屋上からの眺望も楽しめますが、現在屋上はクローズ中。


